Bruce Piper氏を発見した経緯を説明します。ヤフーでもグーグルでも結構ですがインターネットネットの検索エンジンで単純に「Bruce Piper」と入れますと660万件引っ掛かります。660件ではないですよ。どこに住んでいるか分からないがとりあえずオーストラリアだろうと狙いを定めて「Bruce Piper Australia」と入れると150万件。暇をみつけてこの人ではないかとメールを出したりして、1年間色々やってみたが雲をつかむような話でどうしようもありませんでした。
その間大澤さんもオーストラリア大使館にあたったり如水会名簿を調べたりしていたようですが、私は私で6月の末ごろ10年前の如水会名簿を引っ張り出して見ていたら、ギルバート・ジョージというオーストラリア人が1976年一橋で経済学修士を取った如水会員だということがわかりました。たまたま同じタイミングで大澤さんが調査を依頼していた如水会業務部長の高橋さんからもG.ジョージという如水会員がいるという連絡が入りました。
ネットで調べたらこのG.ジョージはすぐ分かりました。パース在住のG. ジョージ氏に「ひょっとしてB. Piper という人を知りませんか?」という問い合わせメール送ったところ、すぐに「B. Piperという人のことは聞いたことがある。でも、自分はその人のことは何も知らなのでそのころ日本にいたオーストラリアの友人に聞いてあげましょう。」という親切な返事が来ました。
一週間後、同氏よりB. Piper氏は、
@ オーストラリア政府のDepartment of Foreign Affairs & Trade(日本の通産省みたいな所)に勤めていたこと。
A ゴードンというシドニーの北にある高級住宅街に住んでいたことがある。
という二つの情報がもたらされました。
この二つを手がかりに、まずオーストラリア政府にメールを送りました。(ここからは返事がありませんでした。後でわかったのですがB. Piper氏は35年前に政府での勤務を辞めて事業会社に移ったそうなので無理もないですね。)
またゴードンを手がかりに調べてみたら今まで全く検索エンジンに引っ掛からなかったB. Piperが出てきました。チェルトナムというテニスクラブのセクレタリーをやっている人です。チェルトナムは地図で調べるとゴードンから10Kmぐらいの所なのですね。これは脈があるかなと、このテニスクラブのB. Piper氏にもメールを送ったところ、「まさしく私が40年前に一橋大学で勉強していたB. Piperです。」との返事がきたというわけです。私もビックリしましたが、B. Piper氏も「どうやってボクのメールアドレスがわかったのですか?」と、ビックリしていました。
藤井さんはゴードンの役所にPiperの住所を教えて欲しいとのメールを送ったら2日後メールで返事があり住所を教えてくれたそうです。
またこの1年間何人かのBruce Piperという名前の人にメールを送りましたが、「当時私は8歳だったので本人ではありませんが、見つかるように祈っています。」という好意的なメールもいただきました。オーストラリア人は皆さん優しいですね。
ともあれ以上のような経緯で40年ぶりにB. Piper氏に会うことが出来るようになったわけですが、考えてみると、オーストラリアの西端のパースに住む一面識もないギルバート・ジョージ氏が如水会員というつながりだけで送ってくれた情報によって彼を見つけたことになります。感無量ですね。
その後にメールのやりとりでB. Piper氏の奥様は日本人(雅子さん)ということわかりました。雅子さんがシドニーで仲良しの須田さんという女性に「40年前にブルースが日本の一橋にいた時の友達から突然メールが来て、皆でオーストラリアに来るみたいよ。」というお話をしたら「その話は良く知っているわ。」ということでびっくりしたそうです。
先ほど石坂さんに伺ったら須田さんご夫妻は二人とも石坂さんの部下だったそうで、今回の遠征車両の手配をお願いしている方だそうです。わかってみれば世の中狭いものですね。
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